西城秀樹は、さかのぼって小学生時代から、外国人アーティストの影響を受け続けて来た。BIG GAME’78 in 大阪球場での収穫は、影響を受けたアーティストの1人としてエルヴィス・プレスリーの名前が秀樹の口から出たことである。
BIG GAME2024 Hideki Saijo 7th Memory
さあ、皆さま、いよいよ来ましたよ~、『BIG GAME2024 Hideki Saijo 7th Memory』のアンコール公演の発表が!← どうもありがとうございました!@(>∀<)@ 今回の2日間公演では見切れなかった方々おめでとうございます!
さて、一足先に拝見させていただきましたワタクシめの感想といいますか収穫の1つは、「in 後楽園球場」と「in 大阪球場」とではセットリスト(セトリ)が違った、ということを実感できたことです。
今回お話しする『Love Me Tender』は、MCとともに大阪球場でしか歌われていません。
そうして注目すべき点は、上記MCの中で秀樹は、エルヴィス・プレスリーについて以下のように語っていることです。
きょうは丁度、ぼくが大好きだったアーティストのプレスリーの命日なんですね。
アルバム『BIG GAME HIDEKI’78』より
きょうはそのプレスリーが歌っていた『Love Me Tender』(を歌います)
BIG GAME’78 in 大阪球場が行われたのは8月26日。
エルヴィス・プレスリーの命日は実は8月16日で、秀樹のかわいい勘違いなんだけどね~ @(//∀//)@ ←テヘペロ案件
エルヴィス・プレスリー
西城秀樹に関する数々の論評で知られた故 佐藤剛氏は、生前、秀樹とエルヴィス・プレスリーとの関係について言及していた。
1955年4月13日が秀樹の誕生日。
その翌年1956年1月27日に、エルヴィスがリリースしたシングル『Heartbreak Hotel』が初のビッグヒット。
エルヴィスが連れてきた新しい音楽ジャンルであるロックンロール(=ロックの前身)旋風が全米中に吹き荒れることとなる。
故佐藤氏の言及したのは「時代の一致」ということだった。「時代の一致」とは、今で言うなら「羽生弓弦と大谷翔平と井上尚弥と藤井総太が同時に出現する時代」という時代の特殊性を意味する。
天才がぞくぞくと出現する時代があり、世界中でロッカーが出現する時代があった、ということだ。
@(//_//)@ ← 不調から回復し熱弁ふるう猿子 ← 個人情報じゃないの~;
エルヴィス・プレスリーと秀樹の類似点
やっぱり50年代は、音楽に長けた人々が現れた時代だったんだね~
エルヴィスと秀樹には3つの類似点がある。
テレビ
秀樹とエルヴィスを全国、全米に知らしめたのはテレビである
秀樹は、『夜のヒットスタジオ(1968年~)』、『8時だョ!全員集合(1969年~)』、『カックラキン大放送!!(1975年~)』、『ザ・ベストテン(1978年~)』など、音楽番組・バラエティ番組問わず引っ張りだこで、たちまちお茶の間の人気者となった。
私たちちびっ子の翌日の学校での共通の話題はテレビだ!← チャンネル争いの時代~
一方エルヴィスも、当時のアメリカのおばけ音楽番組『エド・サリヴァン・ショー』に、1956年9月と10月、1957年1月と短期間に3回出演し、その名と姿態とを全米に焼き付けたのだった。← イヤッホー!
PTAの大抗議
エルヴィスが『エド・サリヴァン・ショー』に出演するやいなや、いわゆるPTAから大抗議が殺到する。
なぜって@(?∀?)@ はて?
セクシー過ぎるからに決まってるでしょーよっ!
お茶の間には刺激が強すぎるのよー!
エルヴィスのダンスは、腰を揺らすそのスタイルから、「Elvis the Pelvis(骨盤のエルヴィス)」と呼ばれる。
秀樹には流石に抗議のようなものはなかったが、腰回しダンスとギャランドゥはあった。
因みに、当時御三家と称された3人がそれぞれテレビに登場した時の我が家での反応は、
野口五郎「歌がうまいわね~(← 演歌系統だったから;)」
郷ひろみ「女の子みたいだな」
秀樹「…… (沈黙と気まずさ) ……」となった。← 見てはいけない?感なのよ~ @( ;∀;)@ ← それが堪らんかった猿
歌がうまい!
エルヴィスは抜群に声質がよく音楽に通じていて、歌がうまい。
しかしそれを大衆がどれ程認識できていたか?というと、とにかく(セクシーで)危険であるという認識が先に立っていた。
それ故本国でも、歌のうまさまで意識が行くのに時間がかかったのではないかな。
日本でのエルヴィスの認識のされ方は壊滅的で、特に後年の白のフリンジ付き衣装で歌う姿しか印象に残らず、
「歌なんか聞いてられっか」っていう感じ @(T-T)@ ダーッ!
そうして、エルヴィスに負けず劣らずセクシーで歌がうまいのが西城秀樹。神レベルっしょ。
秀樹もさ、聞き慣れないロック歌唱もあいまってさ、良くて歌唱力判定不能状態。
激しいアクションが人目を引き過ぎて(← 手足が長いもんだから映えちゃうのよね~ @(/ω\)@)、歌は二の次なんじゃね?判定が下った。← 無念です――@(T_T)@――!
このように秀樹もエルヴィスも、時代の先端を行き、あり得ない程のセクシーさ故に歌唱力を認知されない、という困難も味わった訳である。
『Love Me Tender』
さて、『Love Me Tender』は、エルヴィスの初主演映画『やさしく愛して』(←『愛と誠』@(゚∀゚)@? )の主題歌として制作された。
1956年8月24日、上記『エド・サリヴァン・ショー』で歌唱するや、リリースされる前からヒット!ってどういうことっ?
ぼくを優しく、そして甘く愛して
そして離さないで
あなたは私の人生を完璧なものにしてくれた
あなたを深く愛しています
ぼくを優しく、そして心から愛して
ぼくの夢は叶った
愛しき人よ、愛してる
これから先も、いつだって
もう、これ以上ない、ただただただただラブ・ソングだからねー!← 堪らず絶叫
甘く甘く「愛する」心を込めて歌っておくれ~。
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セクシーは罪?←『虎に翼』風タイトル
さて、こうして秀樹とエルヴィスを見てくると、セクシーは罪だね(笑)
彼ら生まれながらのフェロモン人種は、どうすればいいんだろうね。@(//∀//)@/📖←『BODY2』
果たして音楽評論家の佐藤泉氏は、BIG GAME’78に参加した感想を以下のように綴っている。
ファンと呼ばれるこれら少女の集団は、我を忘れて絶叫し、手を振り、体を揺することで、主人公・西城秀樹に対して一様に何かを訴えているような姿に映る。それはもはや憧れのスターへの歓喜の表情といったものではなく、一種の暴力?と瞬間、錯覚しかねないまでの光景である。
……(中略)……思うに、大人の身体に変わり始めたその肉体の中に、今起こってきた「性」と「生の力」なのではないのか。
この恐るべきエネルギーをコントロールし、集団を制御できるのは、ほかならぬ西城秀樹でしかない。悍馬の群を思わせる彼女たちを瞬時にしてペットのような従順な表情に変えてしまうのである。
……(中略)……西城秀樹が、誠実で温厚な人柄であってよかった―と、つくづく思うのである。
本人が意識するしないに関わらず、人々を惹きつけ狂おしい気持ちにさせる。
そういうごく少数民族がいるということを、私たちは忘れてはならない。
そうしてその少数民族に出逢えたら、本能の赴くままに引き寄せられよう。あたかも蛾が誘蛾灯に引き寄せられるようにー。
それでは行きましょう。
今回は、強敵エルヴィスから参りましょうか。
『エド・サリヴァン・ショー』にて腰を動かすことを禁じられ(←何それっ@(//∀//;)@?)、それでも女の子たちをノックダウンしてしまうエルヴィス・プレスリーで『Love Me Tender』です。どうぞっ!
さあ、秀樹来ますよ~♪
こちらも、途中でノックダウンされないようにお気をつけて~ @(//∀//)@♪
西城秀樹で『Love Me Tender』です。どうぞっ!
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