2023年11月6日、作詞家の三浦徳子さんが肺炎のため死去された。享年75歳。多彩な作詞活動で知られる三浦さんはアイドルのヒット曲も多く手掛けている。今回は松田聖子さんのB面曲『Eighteen』で彼女を偲びましょう。
『Eighteen』
『Eighteen』は、1980年10月1日にリリースされたシングル曲『風は秋色』のB面に収められている。
松田聖子18歳!
私はエイティーン🎶なのだ。
A・B面ともに三浦徳子氏が作詞し、『Eighteen』の作曲は平尾昌晃が担当した。
当時は歌番組の数が多く、毎日のように放映されていた。
そこで聖子ちゃんはB面収録曲でありながら、『Eighteen』を歌う機会も多かったのである。
そうして歌うほどに、この愛らしい曲は人々を虜にしていったのであった!
★『風は秋色』についてはこちら ↓ です。
★『Eighteen』の全歌詞はこちら ↓ です。
普通の女の子が可愛いの~
沢田研二の『ストリッパー』を書いた同一人物とは思えないほど、三浦徳子氏は、昭和の普通の女の子の気持ちをこの『Eighteen』に込めている。
【1番 Aメロ】
夢の中に出てーきたー あなたはとても素ー敵ー
いつも君だけこー・いしてー 暮らしているよとー
ギャアアア、そうよ!
大好きな彼と現実世界で話すなんて、あり得ない時代よ。← そんなことしたら、声が震えて顔が真っ赤っかになるわ~ @(/ω\)@ キャー
だから「夢の中」で話すのが精一杯なのだっ。
私は頬を染ーめてー もじもじしていたーけどー
心は答えてー・いたのー とても好きよー好きよーーー
「夢の中」でだって、女の子は ↑ 上記程度のもじもじ対応しかできないのよ~
三浦さんはよく分かっていらっしゃるわ~
しかしここで聖子ちゃんに、
「とても好きよー好きよーーー」と歌わせるところで、もう勝負はあったね!← 男子ノックアウト〜
聖子ちゃんの「とても好きよー好きよーーー」は、伸びやかな歌声で、爽やかな風を吹かせる。
Eighteen
【サビ】
あーいしてるーの こーころーかーらー
こーいするハート わたしはエイティーン
恋、青春の真っ盛りはエイティーン、18歳。ええっ⁉ ← ってなるのよ〜 @( ;∀;)@ ?
なぜなら私たちの時代 (← いつ?)、青春真っ盛りは17歳だったからだ。
その証拠に1968年から中高校生向きに、雑誌「セブンティーン」が発刊されている。
私たちは17歳の訪れをワクワクしながら待ったものだった @( ;∀;)@ ← もうとっくの昔に通り過ぎたけれどね〜
結論を言うと、聖子ちゃんのデビューは18歳だったからね。
そうしてこの『Eighteen』を歌っている時も18歳。
聖子ちゃんに合わせて青春真っ盛りを18歳にしても、文句を言う人は誰もいないよ~ん。
しぐさ
もうね、どんなに踊り狂ってヘッドスピン1000回やろうと、聖子ちゃんの愛らしい振り付けの前では吹っ飛んじゃうね。
【前奏】
シャラララララン・ラ・ラララ―
シャラララララン・ラ・ラーラーララー (バカンスを思わせるギターとともにバックコーラス)
このコーラスとともに聖子ちゃんは右手人差し指でちょいちょいちょいと、
左・唇・右
に触れていく。← かわいい~です~もう〜参りました~ @(*ノωノ)@ ひゃー!
続いて、歌いながら聖子ちゃんが肩を交互に、右・左・と出すだけでスギューン!← 無敵だよ~
「わたしはエイティーン」では、この肩振りと人差し指とを同時にやってくれるのよ。← 最も可愛いシーンでしゅ♡
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B面
後に聖子ちゃんは、『SWEET MEMORIES』(=A面『ガラスの林檎』のB面曲)の予期せぬヒットで、急遽『SWEET MEMORIES』もA面扱いにするという事態を引き起こしている。
そうして「両A面」なんていう、シングルカットの売り出し方も出現した。
しかし実は、両A面の始まりはこの『Eighteen』からではなかったのか。
そう思わせるほど、聖子ちゃんにぴったりで華があって人気もあった曲だった。
これもひとえに、両面の作詞を担当された三浦徳子氏の力量があったから、と思わせる。
ここに改めて、三浦徳子氏のご冥福をお祈りしながら、聖子ちゃんの『Eighteen』を聞きたいと思います。どうぞ安らかにお眠りくださいませ。
それでは行きましょう。松田聖子ちゃんで『Eighteen』。
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