【西城秀樹】世界で1番スケールが大きい『YOUNG MAN』

秀樹の金字塔『YOUNG MAN 』の誕生秘話、ベストテンでの満点達成、『YMCA』の意味などについて、総ざらいします。

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目次

『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』

『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』(ヤングマン ワイ・エム・シー・エー)は、1979年2月21日にリリースされた。

西城秀樹28枚目のシングルである。
秀樹23歳。

作詞:Henri Belolo・Victor Wills
作曲:Jacques Morali
日本語詞:天下井隆二(あまがい・りゅうじ)
編曲:大谷和夫

後に振り返ると、この『YOUNG MAN』の登場は、田村正和が何年か置きにシリアス・コメディと繰り返して、ある時いきなり古畑任三郎を演じ始めた時の感覚に似ている。

絶唱もロックンロールもバラードも行ける秀樹が、この中から何を歌うのかとわくわく期待していたら、いきなり『YOUNG MAN』が来たのだ。
スポーツ系ポップロックという、もはや秀樹オンリーのジャンルに突入する @(;・∀・)@ ← 名づけ猿

シングルリリースまでの経緯

秀樹は1978年、アメリカ・ロサンゼルスにて、ヴィレッジ・ピープルの曲『Y.M.C.A.』に心を奪われ、すぐに『歌ってみよう』と決意する。

秀樹と一の宮はじめ氏とで振り付け、日本語の歌詞は当時のマネージャーである天下井隆二氏が書き上げた。
その折りに天下井氏は、テーマを『青春賛歌』として全面的に歌詞を書き替える。← @(//_//)@b グッジョブ!

既に別の曲をシングルとして発売予定の3週間前、本曲を新譜として工場に発注。

秀樹自ら工場に出向き、ミカン箱の上で『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』を熱唱し、工場従業員たちを激励したエピソードは有名。← 私も~ 私も~ ミカン箱になりたかった @(//_//)@ ← そこ狙い?

金字塔

『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』は、リリースされて2週間目にオリコンチャート3位に初登場。

翌週より5週連続で1位をぶっちぎり、累計売上180.8万枚を記録。

秀樹最大のヒット曲となる。

当時、爆発的な人気を誇った歌番組『ザ・ベストテン』でただ1人、※ 満点の9999点を2週連続で達成

※ ベストテンのスコアボードは4桁までしか表示できなかった。
満点とは、レコード売り上げ総合・有線放送リクエスト・ラジオ総合・視聴者葉書リクエスト全てにおいて第1位だったということ。← 秀樹おめでとうっ @(T-T)@ ← 微力ながら葉書書いた人

年末の賞取りレースでは、
第10回「日本歌謡大賞」大賞受賞。
第8回「FNS歌謡祭」グランプリ受賞

第30回NHK紅白歌合戦では「Y.M.C.A.」を「白. 組. 優. 勝. 」に置き換えて大熱唱

翌1980年の春には、第52回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも選ばれた。

なお第21回日本レコード大賞では外国作品のカバーであることを理由にノミネートされず。← アホなの? @(-_-)@/ ⌒’ (鼻くそ飛ばし)← 止めなさいっ
秀樹は、レコード大賞を獲得したジュディ・オングを、ステージまでエスコートし、会場の気まずさを解消するという気配りまで見せている。← 憂鬱などー 吹き飛ばしてー♩  @(T-T)@ 度量が大きいわ〜惚れるわ~既に惚れているわ~♡

『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』全歌詞はこちらから ↓ ご覧になれます。

大ヒットの要因

いろいろな面で常識を打ち破った『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』

A. 観客参加型楽曲

当時アメリカでヒット中だったヴィレッジ・ピープルの『Y.M.C.A.』は、ディスコ音楽だけあって、元気がみなぎる軽快なメロディラインである。

高らかな始まりを告げるトランペットのメロディラインに、すかさずストリングスが巻き込むような駆け上がりを見せ、躍動感が溢れんばかりになって、

ヤングマン さあ立ち上がれよ
ヤングマン 今翔びだそうぜ
ヤングマン もう悩むことは ないんだから

ヤングマン ほら見えるだろう
ヤングマン 君の行く先に
ヤングマン 楽しめることが あるんだから

秀樹の拳を突き出すようなアクションそのままのパンチ力で、『YOUNG MAN』はスタートする。

そう、この楽曲は、ヤングマン(& 秀樹パンチ)」の合間に歌詞が入るのだ。
…… てな具合だから、サビに行く前に早くも6回「ヤングマン(& 秀樹パンチ」が登場。

サビだー!死ぬ気で乗れよー!← 秀樹の声が聞こえる〜 @(T-T)@

すばらしい  Y.M.C.A Y.M.C.A
ゆううつなど 吹き飛ばして
君も元気出せよ

そうさ  Y.M.C.A  Y.M.C.A
若いうちはやりたいこと
何でもできるのさ

みんなで一緒に!

ワーイ・エムシエー
ワーイ・エムシエー

Cは、相手から見てCだぞー!← 要注意事項よ〜 @(T-T)@

それからの、世界に届けとばかりにの大サビ!来るぞー!

Y)・MM)・C)・A

という客席との掛け合いで、観客ともども最高潮に盛り上がりまくるのだ〜♩

これは、ヴィレッジ・ピープルの原曲にはない。
秀樹バージョンのオリジナルである。

《皆で歌い、大いに盛り上がって一緒に踊る》という観客参加型のパフォーマンスは、まさしくディープ・インパクト!

カッコいい秀樹とともにみんなでやった。

運動会で、学園祭で、老人会で、『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』を踊りまくったのだった @(T-T)@ パワーあり過ぎ ……

 B. 躍動感溢れる秀樹

星条旗を模したジャンプスーツを身に付けた秀樹は、跳びはねるようにマイクの前につく。
健康的な躍動感をみなぎらせ、《一緒に踊ろうぜ!》とばかりに、

ハイッ!(かけ声)
ヤングマン …」と来る。

『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』が運動会の定番となったように、この楽曲は、運動神経抜群の秀樹の運動部的なかっこよさ、キレの良さ、リーダーシップ的な要素を際立たせた。

朝礼台に立ってラジオ体操をリードしてくれる体育委員長のような …… ← @(@_@)@ そういえば体育委員長のラジオ体操は、全校生徒から自然に見えるように、鏡写しにやっていたっけ … ← 「YMCA」の「C」だ~

それは、
ひろみにも
五郎にもできない ←  @(//_//)@ 秀樹の女房役だけに真逆 …

秀樹ならではのスポーツマン系のカッコよさであった。

C. 歌詞

マネージャーの天下井隆二さまが、秀樹から「作って(早く!早く!← せっかちさん♥)」とせかされながら書いてくださった歌詞。

当時は素人同然でいらしたのが功を奏して、外連味がなく直球勝負のドストライクな歌詞で、私達の胸にズドーンと響いた。

若者が持つ直情さと相まって、前向きの、爽やかな清々しい気持ちの良い歌詞だ。

天下井氏は後に作詞者として、秀樹の歌も何曲か手がけていらっしゃる。
秀樹は直感的に、才人しか側に置かなかったという、その例に漏れない方である。

しかしこの『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』の歌詞は、それをもってしても尚、神がかっていた、と言わざるを得ない。

意味

元歌ヴィレッジ・ピープルの『Y.M.C.A.』は、LGBTの解放を歌っている。

Y. M. C. A.の意味だが、
Young Men Christian Association」の略称で、「キリスト教青年会」を表す。

上記は、若者のバックパッカーが泊まるようなユースホステルも運営しており、そこにゲイの多くが宿泊する時代があった、ということだ。

鬼の首を取ったようにひけらかす程の知識でもない。← "yahoo!知恵袋"の大騒ぎにはめまいを感じるよ ……ったくね … @(¬_¬)@/ ⌒’(鼻くそピピン!)← コラッ!

しかし現在イメージするのは、水泳などのスポーツ教室である。

秀樹自身は「Y.M.C.A.」を、
Young Man Can do Anything」の略称とした、と語っている。← なるへそ!

私は、← 誰も尋ねてないわ〜
Young  Man」+ 「U. S. A.」位にしか思っていなかった。← は何処へ行った? @(//_//)@ ← 雑な人間

…… というのも、秀樹の星条旗衣装と合わせ、楽曲からは、若者が有する未来やアメリカ大陸のおおらかさやスケールの大きさ、を強烈に感じ取ることができるからだ。

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ぶっちぎり

西城秀樹が逝去した時、各放送局・各紙が一斉に、星条旗姿の秀樹が歌う『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』を流し取り上げた。

秀樹のバラエティに富んだ楽曲の中でも『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』は、やはり金字塔と呼ぶに相応しい位置を占めるからだ。

しかし、上記したように非常にインパクトのある曲とパフォーマンス故に、西城秀樹  =  『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』と捉えられてしまうと、それは誇らしい誤解である。

秀樹といえば、ロックの先鋭であり、劇場型の絶唱であり、バラードの豊かさであり、優しく繊細な歌唱表現であること、などなどを、『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』と平行して是非意識して頂きたい。

何よりセクシィさはどうなるんだ〜
秀樹といえばセクシィでメロメロでしょ〜 ← 力説! @(//_//)@!

ともあれ、1972年のデビューから4年目を迎えた西城秀樹は初めて阿久悠と組んだ。
それ以降の3年間、西城秀樹のほとんどのシングル曲は阿久悠が詞を書くこととなる。
大人の歌も歌える歌手としての秀樹の脱皮である。

その阿久悠が西城秀樹のために書いた最後の詞が、『ブルースカイブルー』。

そうしてなんと、その次々曲、得意の洋楽を見事に消化した『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』によって、西城秀樹は阿久悠氏の期待をはるかに超え、日本全国中を躍動させ、早くも次の脱皮を実現したのである。

それでは行きましょう!
@(//_//)@ ああ〜、もう前奏が聞こえて来る〜、ウズウズ♩

西城秀樹で『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』です。どうぞ!

「第10回日本歌謡大賞」にて、ファンの懸命な応援に応えて歌う秀樹の『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』

↓ 上記「歌謡大賞」を受賞し、熱狂の武道館と化した、秀樹とファンの『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』~ @(>∀<)@!秀樹、おめでとうっ‼

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