【朝ドラ「虎に翼」の主題歌】米津玄師『さよーならまたいつか!』に取り入れられている3つの文学作品

村上春樹の書く小説の中には、鍵となるクラシック音楽を聴かないことには理解できない作品すらある。対峙するかのように、音楽界の天才米津玄師は文学への造詣が深く、その知識を作品中に取り込んでくることも多い。

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目次

『さよーならまたいつか!』

『さよーならまたいつか!』アーティスト公開写真←配信なのでジャケ写は無いんだよー!←いつの時代の人?発言

『さよーならまたいつか!』は、配信限定シングルとしてSony Music Labelsより2024年4月8日に各音楽配信サービスにてリリースされた。

作詞:米津玄師
作曲:米津玄師
← ついに来た!@(T-T)@ いらっしゃ~い♪← 桂三枝風に読んで…

配信限定シングル とは

CDなどのパッケージ発売をせず、配信のみでリリースするシングルのこと。

【主な購入方法】
▪︎1曲単位からアルバム単位までをデータとして購入し、PCやスマートフォンなどで聴き続ける方法 (ダウンロード型配信)
▪︎限定された期間・限定された再生回数、または定額制で契約し、契約範囲内で聴く方法 (ストリーミング型配信)

NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』の主題歌

朝ドラ『寅に翼』

『さよーならまたいつか!』は、2024年4月1日から始まったNHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』の主題歌である。← みんなで見よう!

『虎に翼』は、日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ、一人の女性の実話に基づくオリジナルストーリー。
困難な時代に立ち向かい、道なき道を切り開いてきた法曹たちの情熱あふれる姿を描く。

主演に伊藤沙莉を配し、絶賛放映中です!@(>∀<)@ ← 特にこの人に絶賛されています;

文学の格調

『Lemon』発表時の米津玄師=天才

米津は、遂に全世代を巻き込んだ『Lemon』において、梶井基次郎の短編小説『檸檬』と、高村幸太郎の詩「レモン哀歌」を歌の根底に置いた

それにより、「死」というものを歌詞にのせ、鮮やかに歌いきったのである。

米津ほど、さり気なく「文学というもの」を歌詞に潜ませることができる作詞家は、未だかつていなかった。
また用いられた「文学」は、遊びとしてではなく、歌のテーマ、つまり歌を支える根幹として米津の作品中に存在する

天才とはこういうものか、とおおいに納得したものだ。← メロディラインの美しさも白眉だけれどね~

『さよーならまたいつか!』の全歌詞はこちら ↓ です~@(*^_^*)@

春に燕

『地球儀』制作中の米津

【1番 Aメロ】歌い出し
どこからが・めーぐり来るのか・知らず知らずー大人ぁになった
見上げた先にはが飛んでいた・気のなーい顔でー

はて?@(?_?)@ ← 寅ちゃんならぬ猿ちゃんw
」に「」とな?

朝ドラは「」からスタートするからいいんだけど、「は夏の季語だ。
春に飛ぶかね?

しかし米津がこう書くからには、何か文学的な裏付けがあるにちがいない。

漢文の知識

『地球儀』は宮﨑駿監督スタジオジブリ作『君たちはどう生きるか』の主題歌

案の定【2番 サビ】に、以下のような歌詞が現れる。

貫け狙い定め 蓋し虎へ どこまでもゆけ

↑めちゃくちゃ獰猛な寅をさらに鼓舞するという、西城秀樹『ジャガー』以来のエキサイティングな歌詞だよ~!@(//∀//)@ へへ…

話を戻して、
貫け狙い定め 蓋し虎へ どこまでもゆけ」の意味は、
自分の意志を貫け、獲物に狙いを定め まさしく(=副詞「確信を伴いながら確認すること」の意) 虎である君へ言おう どこまでも行け」となる。
蓋し」は漢文からきた単語だ。

(例) 蓋し名言。= (あなたの言ったことは、)まさしく名言だ!

こういう単語を米津が用いる理由は、

(漢文に使われる単語は) 語感がいいから

上記の説明として、米津は以下のように述べている。

語感のいい単語ってすごく好きで、いつか歌いたいと思っていて。
雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の「いずくんぞ」とか、なにその音?みたいにグッと来るんです。

『Magazine house』米津玄師、朝ドラ主題歌を歌う より引用

「蓋し」を説明しながら、またもや漢文が出たね~ @(🌀_🌀)@ めまいが…

雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや (えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)」の意味は、
「〈つばめ〉や〈すずめ〉のような小鳥には、どうして〈おおとり〉や〈くぐい〉のような大きな鳥のこころざしを理解できようか、いやできはしない」ということだ。←ここで「」が出て来やがった!@( ;∀;)@

ともかく米津は、2番の歌詞「蓋し」から始まって、さらさらっと「」を含む漢文 (故事成語) を暗唱できちゃうんだよ。

朝ドラのタイトルである『虎に翼』自体が、漢文から発したことわざである。

この歌詞や米津の頭の中には漢文が張り巡らされていて、漢文からの連想で、「からに発想をつなげたわけだ。

種田山頭火の俳句

『月を見ていた』アーティスト公開写真

【2番 Aメロ】2番歌い出し
しぐるるやしぐるーる町へ歩み入るーそこかーしこで袖触れるー
見上げた先には何もいなかぁった・あぁあいなかぁった ウハハ←とにかく聞いて、最高!@( ;∀;)@

しぐるるやしぐるる町へ歩み入る」は、種田山頭火の以下の俳句から取っている。

しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
(「時雨:秋から冬の始めにかけて降る冷たいにわか雨」が降ってきた。その時雨が降りしきる山の奥へ奥へと更に分け入って行こう。)

ー(記者)冷たい雨が降っていても進んでいくという意味が、寅子に合っていると感じましたが……
ー(米津)その句は、ふと思い出したというか、ドラマに似つかわしいんじゃないかなと。
「しぐるる」ってよくないですか?

『Magazine house』米津玄師、朝ドラ主題歌を歌う より引用

…… と、「近代文学」から「漢文」「俳句」と、かなり自在なのである。

しか〜し、ここで気になるのは、今回米津は、『さよーならまたいつか!』のテーマに関わるような、根幹をなすような文学の存在を語っていない、ということだ。

また、上に挙げた文学作品は全て、記者の質問を米津が肯定する形で判明したことで、米津から進んで種明かしをした訳ではない。

米津は『Lemon』でのプロモーションビデオのように、少しの謎を残しておくことを得意とする。← @(゚∀゚)@ そだね~♪← こやつとは大違いw

改めて、『さよーならまたいつか!』の根幹部分に影響を与えた文学とはなんなのだろうか?

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夏目漱石『夢十夜』第一夜

誰の目も引き、気になる「100年」という発想はどこから来たものだろうか。
米津はそれについて、以下のように語っている。← 配信限定シングルだけあって、発言はやっ!

100年

『さよーならまたいつか!』プロモーションビデオ

 100年先とか、結構な先じゃないですか。それこそ自分自身も、
「何にも誰も覚えていないだろうな」という先に思いをはせることがよくある。
怒ったり悲しんだりする出来事も、とてつもない先になると何も残っていない。すごくちっぽけな出来事だな、と思えるんで、すごく安心できるというか、救いを感じるんです。
 しかし同時に100年経っても、何もかもが消えてなくなるわけではなくって、誰かが残したものを受け取って、それをまた自分たちが誰かに託していく。それによって、生活や文化は連続していくものだと思う。そういうのが美しいよなって。
 女性で初めての弁護士の方がモデルになっていて、初めてっていう体験から、それが長い時間が経つにつれて、当たり前というか、そうやって受け継いできたものを託されながら今生きているということが、とても豊かなことだなっていうふうに思ったので、ああいう表現 (=100年) になりました。

NHK『あさイチ』2024.4.26 米津玄師インタビューより引用

なる程~、

「100年」を解説しつつ、上記太字部分が『さよーならまたいつか!』で伝えたい中核となっている。

いやいやいやいや、100年先でまた会いましょう。さよーならまたいつか」と来たら、その出典は「100年待っていて下さい。また逢いに来ますから。」(夏目漱石『夢十夜』第一夜) でしょー!@(-_-)@zzz ←高校国語で寝ていたとは思えない記憶ぶり

以下、『さよーならまたいつか!』と『夢十夜 第一夜』とで重なる表現を一覧にしてみた。

さよーならまたいつか!夢十夜 第一夜
▪さよなら100年先でまた会いましょう心配しないで(1番Aメロ)
100年先も覚えてるかな さよーならまたいつか(〃サビ)
100年先のあなたに逢いたい 消え失せるなよ さよーならまたいつか(2番サビ)
また逢いに来ますから(死んでいく女のセリフ)
百年待っていて下さい(〃)
百年、私の墓のに坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから(〃)
いつの間にか ちた(1番Bメロ)一輪のつぼみが、ふっくらとはなびらを開いた(女の再生した姿)
かがわたしにをついた(1番Bメロ続き)だまされたのではなかろうか(女の死後、100年待ち続ける男の気持ち)
誰かと恋に落ちて また砕けて(1番サビ)星の破片かけ墓標はかじるしに置いて下さい(女のセリフ)
星の破片かけの落ちたのを拾って来て(男の行動)

『寅と翼』のモデルである三淵嘉子さんが活躍されてから今が100年後、という大前提。

その大前提をもとに、『夢十夜』に登場する「100年」を重ねたとしか思えない、上記両者の重複振りである。

夢十夜の結末

『さよーならまたいつか!』プロモーションビデオ

ここで大事なのは、『夢十夜』と重ねることによって、米津が何を伝えたいのか?ということだ。

『夢十夜』では果たして100年後、男は百合と化した女と再会を果たす。
そうして、次のような感慨を口にして、この短編は終わる。

百年はもう来ていたんだなとこの時始めて気がついた

夏目漱石『夢十夜』第一夜より引用

そうだ!

私たちは既に今!寅ちゃん(三淵嘉子さん)の改革したときから100年後の時代にいる

上記した米津のインタビューをもう一度読み返してみよう。

果たして私たち女性は、世の中は、米津が言うように、寅ちゃんが「残したものを受け取って」「受け継いできたものを託されながら」「美しい」「豊かな」時代を築いているだろうか。

時間経過が行きつ戻りつする米津のプロモーションビデオを観ながら、
「100年は既に過ぎたゼ」と軽やかに、暴力的に、叫ぶ、米津玄師の声が聞こえたような気がした。

それではいきましょう!
朝ドラ『虎に翼』主題歌。米津玄師で『さよーならまたいつか!』です。どうぞっ!

↓こちらからは『虎に翼』のオープニングを視聴できます~@(*^_^*)@

『虎に翼』主題歌 米津玄師『さよーならまたいつか!』オープニング (ノンクレジットVer,)

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『虎と翼』の時代の女性と、現代の女性とを比較した記事はこちら ↓ です~@(*^_^*)@

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参考文献1『さよーならまたいつか!』

【1番 Aメロ】
どこから春がめぐり来るのか知らず知らず大人になった
見上げた先には燕が飛んでいた気のなーい顔で
もしもわたしにがあれば 願う度に悲しみに暮れた
さよなら100年先でまた会いましょう 心配しないで

【1番 Bメロ】
いつの間にか ちた かがわたしにをついた

土砂降りでも構わず飛んでいく その力が欲しかった

【1番 サビ】
誰かと恋に落ちて また砕けて やがてれ離れ
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
瞬け羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ
100先もえてるかな らねえけれど
さよーならまたいつか!

【2番 Aメロ】
しぐるるやしぐるる町へ歩み入る そこかしこで袖触れる
見上げた先には何も居なかった ああ居なかった

【2番 Bメロ】
したり顔で 触わらないで 背中を殴りつける的外れ
人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る

【2番 サビ】
かを愛したくて でも痛くて いつしか雨霰
がれていた縄を握りしめて しかと噛みちぎる
貫け狙い定め 蓋し虎へ どこまでもゆけ
100年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ
さよーならまたいつか!


【last サビ】
恋に落ちて また砕けて 離れ離れ
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ
生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ
さよーならまたいつか!

参考文献2 夏目漱石『夢十夜』第一夜

 こんな夢を見た。
 腕組をして枕元にっていると、仰向あおむきに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭らかな瓜実うりざねがおをその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然はっきり云った。自分もにこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上からき込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼をけた。大きなうるおいのある眼で、長いまつげに包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒なひとみの奥に、自分の姿があざやかに浮かんでいる。
 自分はるほど深く見えるこの黒眼の色沢つやを眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕のへ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうに※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。
 じゃ、の顔が見えるかいと一心いっしんに聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。
 しばらくして、女がまたこう云った。
「死んだら、めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片かけ墓標はかじるしに置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから
 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
 自分は黙って首肯うなずいた。女は静かな調子を一段張り上げて、
百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
百年、私の墓のに坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから
 自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸ひとみのなかに鮮あざやかに見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長いまつげの間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。
 自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑かな縁の鋭どい貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿った土のもした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。
 それから星の破片かけの落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちているに、が取れてかになったんだろうと思った。げて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖くなった。
 自分はの上に坐った。これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、腕組をして、丸い墓石を眺めていた。そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分は勘定した。
 しばらくするとまた唐紅からくれない天道てんとうがのそりとって来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。
 自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、こけえた丸い石を眺めて、自分は女にだまされたのではなかろうかと思い出した。
 すると石の下からはすに自分の方へ向いて青いが伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ぐ茎のいただきに、心持首をかたぶけていた細長い一輪のつぼみが、ふっくらとはなびらを開いた。真白な百合が鼻の先で骨にこたえるほど匂った。そこへはるかの上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露のる、白い花弁はなびら接吻せっぷんした。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一ついていた。
百年はもう来ていたんだなとこの時始めて気がついた

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