BIG GAME10年間では’78は特殊な年で、「ハロー・パーティ後楽園」と銘打たれた後楽園では初のコンサート、「バイ・バイ・パーティ大阪球場」と銘打たれた大阪球場では最後のコンサート、となる予定だった。両者では衣装も異なり、この『朝日のあたる家』は大阪球場でのみの歌唱となった。
ロッカーの色気
前回記事のポール・マッカートニー、ご覧になりましたか?← いきなり余談じゃないの~ @( ;∀;)@
ジョン・レノンがAメロを歌い始めるや、ポールがハモリながら腰をくねくねっとやったのをーー。
自分がヴォーカルを取っていない時でも、このくらいの男の色気がなくっちゃね~ ← 色気はロッカーの必須条件!
秀樹はもともとセクシーでクラクラな上に、ロッカーだからね。
もうね、私たちファンも大変な訳ですよ~ @(/ω\)@ ←喜びを隠せないご様子;
★ ポールの腰くねくねっをご覧になりたい方はこちら ↓ です
『朝日のあたる家』
さて『朝日のあたる家(The House of the Rising Sun)』は、少なくとも1930年代には歌われていたアメリカのフォークソングだ。
1964年にアニマルズ(The Animals)がロックとして歌いヒットさせた。
『朝日のあたる家』とは、ある娼館に付けられた呼び名のこと。← 民謡・童謡怖い説 @(||_||;)@
もともとはその家で身を持ち崩す少女の立場から、何かを呪うように歌われ~、アニマルズはその家に通う男性の立場からどろどろと歌った。
一方秀樹は、「娼館」という要素はとっぱらい、「朝日のあたる家に暮らす少年」というシンプルな設定にして歌っている。← セーフ!
秀樹19歳(’74) サイケな朝日
(聴き比べの元にした音源は、アルバム『秀樹!エキサイティング・ポップス』です)
ギターベースのアレンジ。
特に全編を貫く、うねるようなベースが効いている。
この曲の印象だが、イントロに入る
ウーウウー ウウウウウーウー
という甲高い男性コーラスからして※サイケデリック(サイケ)なんだよ~ ← サイケも好物なんだけれど、食べ過ぎるとお腹壊す@( ;∀;)@ よ・ね~!
※サイケデリック とは?
幻覚剤によってもたらされるような心理的感覚や様々な幻覚・「極彩色のグルグルと渦巻くイメージ」とされることの多い視覚・聴覚などにもたらされる幻覚状態を表した言葉。
幻惑的な状態のこと。
サイケは70年代前半に流行り、服装の柄などもサイケなものが多かった。← 私持ってる @(//∀//)@
秀樹の歌唱も、チャーリーコーセイ(Lupin the Third 1st season Ending歌唱 1971年)などのストレートでありながらムードたっぷりといった、若さと時代背景とを反映した得がたい味わいを醸し出している!
ハスキーボイス
【歌い出し】
朝・日の・当ぁ・たるー
いぃえーーが・あぁるー
(普通じゃないけど) 普通に歌い始めたと思ったら、すぐに「いぃえーー」で強烈にシャウトし出すんだもんね。←アイドル設定忘れる秀樹 @(//∀//;)@
10代の秀樹は、かなりハスキーが強い。
後天的に潰れたハスキー(←八百屋さん)に比べ、生まれながらのハスキーボイスは斜のかかり具合が綺麗なのだ。
当然かっこいい。
「あぁるー」ではハスキーの威力が特に発揮され、ソウルフルに迫ってくる。
サイケな曲調と秀樹のハスキーボイスが絡み合って、絶品の味わいだ。
あ!「ラ」行はもっの凄く巻いています!← ここで巻かなきゃいつ巻く~🌀
秀樹23歳(’78) ダンサブルな朝日
(音源は『BIG GAME’78 HIDEKI』です。← このアルバムに収録されている『朝日のあたる家』は大阪球場で歌われたものだと、フィルコンで確認しました~ @(*’ω’*)@ ←時々エライ猿w)
間奏に入る
パラパラパッパラパパ⤴パラパラパラパラ というブラスのメロディが癖になりそう~
なんだこの『朝日~』が持つ魔力はー!
こちらは、80年代のディスコブームを反映して、ダンサブルなアレンジになっている。
声のツヤ絶頂期
【上記Aメロ続き】
(パ―パ) ← トランペット
町でぇ・いぃーーち番ー・ふーるい・
家ー・なぁのさぁ
『夜のヒットスタジオ』などでお話する際の秀樹のハスキーボイスに変化はないのだが、この頃になると、歌い上げの声からはハスキーが取れてカーンと響き渡ってくるようになる。
このカーンを6,000ccの肺活量が後押しするのだから、まるでトランペットのような、高音で音量があり遠くまで響く歌声となる。
更に、「いぃーーち番ー」と低音域に差し掛かるところでは、今度はトロンボーンに変化。
発声器官内部での反響が増した、厚みのある歌声になる。
イヤァァァ、フィルコンの大音響のスピーカーから(←スピーカーの真ん前の席だったー@(+o+)@→♪)、秀樹の声が突き抜けたからね~♪
シビレタよ~♪
あ!「ふーるい」の「る」ですが、こんなに舌を巻く方っていらっしゃいますか?@( ;∀;)@ ← いるとしたらカメレオンだけね〜
秀樹41歳(’96) ブルースの朝日
ピアノアレンジ。
ジャズっぽくもあるんだけれど、やっぱり秀樹はソウルフルだからブルースに落ち着くね。
なんだかギターの弦をボロンと弾けば音が出ちゃうように、軽く歌っているようでも響く響く~
声は低く太く
秀樹が自ら言っていたように、歌声は低く太くなっている。← それだけ歌ったんだよ~鍛えたんだよ~@(T-T)@
【上記Aメロ続き】
やさ・しい・かぁおのー
おぉふーーくーろぉがぁぁー
おぉれをーそぉーだててーくれた
家ーなぁのさぁー
まずはビブラート!
ロングトーンに入れるのが精いっぱいか、入れられないっ!という方々も多い中、「顔のー」「おふくろがー」「俺をー」「育ててーくれた←途中に!」「家なのさー」と、全部入れられるのが秀樹!←感激!
「おぉふーーくーろぉ」「おぉれをー」のシャウト、つぶし声のつぶし加減がめいっぱいグシャッと行くよね。
あ!上記「ろぉ」は、巻き舌の帝王25周年にふさわしい巻き具合です(笑)
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ヴォイストレーナー 大本恭敬(おおもとたかひろ)氏
1971年
『MIKAKO Official Web Site』より引用 ※ MIKAKOさんは大本恭敬氏のご息女です。
デビュー前から我家での猛レッスンが始まりました。
広島から上京し、当時まだ高校に通っていた少年時代の秀樹さん。
父の厳しいレッスンに、涙したこともあったと、後にインタビューで答えておられましたが、本当に全身全霊でヴォイストレーニング(R)を叩き込まれていた姿を覚えています。
(HIDEKIは) 大本恭敬師に基本からもう一度再チェックしてほしいとのオファーをしたが、師いわく
『西城秀樹公式サイト』より引用
「もう教える事など何もない、その姿勢があればいいんだ」といわれ、近年の歌唱に疑問を抱いていたHIDEKIに自信を取り戻させた。
師は師である。
デビュー前から厳しい歌のレッスンに耐え、常に基本に立ち返りながら工夫し、自らの歌唱に向き合い続けた秀樹の姿がうかがえる。
そう思いながら聞く『朝日のあたる家』には、年代ごとの素晴らしさが込められていた。
それでは参りましょう!
西城秀樹で『朝日のあたる家』19歳(’74)、23歳(’78)、41歳(’96)です。どうぞっ!
19歳秀樹の『朝日の当たる家』が全て収まっている動画はこちら ↓
↓ 動画はBIG GAME’80、歌唱はBIG GAME’75からです~。お楽しみくださいませ♡
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