日本が誇るミュージカル集団『劇団四季』。デビュー5年目にして、劇団四季に混じり3週間に及ぶミュージカル公演を行った秀樹。この公演から秀樹が得たものを『ナタリー』歌唱を通して語ろう。
『わが青春の北壁』
『わが青春の北壁』は、1977年7月5日から28日まで、東京・日生劇場で行われた秀樹主演のミュージカルである。
秀樹22歳。
企画・演出:浅利慶太、宮島春彦
台本・作詞:阿久悠
作曲・編曲:三木たかし
振付:山田卓
当初のタイトルは、『サマー・メランコリック・山』であった。
特筆すべきは、本公演は秀樹たったひとりで劇団四季のなかに飛び込むという勇気あふれる挑戦であったことだ。
ストーリー
阿久悠が秀樹に、いわゆる当て書きをした役柄は、もと大学山岳部員の青年・有光良。
自らも山男である良は、山男の兄・洋 (滝田栄) を誇りに思っていた。
しかし、ある日、兄の参加した登山パーティーが遭難し、洋は仲間を残して下山、ただ1人生き残る。
兄への不信が湧き、良は山を絶つ。
そうして現在は、ナイトクラブでロック歌手兼ドラム奏者として脚光を浴びながらも、自堕落な生活を送っていた。
洋の妻・夏子 (久野綾希子)と密かに愛し合う良は、新しく出逢った恋人・れい (菅本烈子) とのはざまでも揺れ動く。
そんな時、兄が参加したパーティーに良が参加を取り止めたことが原因で、犠牲になった男がいることを知るのである。
良は当日の兄の足跡を追うように、再び山に挑むのであった……
@(○_○)@ 秀樹以外で主だった役柄を務める滝田栄、久野綾希子、菅本烈子ともに、当時の劇団四季の主要若手メンバー!
その他ダンサーズも全て劇団四季メンバー、という中で、歌い踊りセリフをこなすのよ。← 柱稽古じゃん~ @(T_T)@
レッスン
この劇団四季との共演は、浅利慶太氏が秀樹に惚れ込んだのがきっかけで実現した。← 私も惚れているわよ〜 @(*ノωノ)@
「ほらほら、セリフに気をとられて発声がノドだけになっているよ。それじゃあ、観客に聞こえない」
1977年『ヤングレディ』7月12日号(X:姫香さん所蔵) より引用
演出 (浅利慶太) の声は厳しい。その声にもう一度やり直す秀樹は真剣そのものだ。
毎日こんな練習が午後1時ごろから夜の10時ごろまで続く。
秀樹のほおが心なしかコケているのをみても、いかに厳しいレッスンかがわかる。
一方の秀樹も、意気込みながら、以下のように語っている。← かなり具体的~
(ミュージカルは) 歌、セリフ、踊り、すべてで自分を表現しなくてはいけない。
同上 より引用
……(中略)…… セリフを口にするとき、腹式呼吸で発声するんだけれど、初めてだからセリフに気をとられていると、発声がノドだけになっちゃう。腹式呼吸に気をとられているとセリフが出てこない。
それに歌いながらアクションすると、リズムが合わない。
今は気力で頑張っていますよ。
浅利氏、秀樹の発言からは、以下のようなレッスン内容が窺える。
☑️ 歌、セリフ、踊り、それぞれの個々の技量を磨くとともに、それらを組み合わせた表現の仕方を磨いている
☑️ 歌もセリフも腹式呼吸で発声する練習を積んでいる
BIG GAME’78
さて、そうした’77年を経てのBIG GAME’78なのだ。
『わが青春の北壁』を経験し秀樹の歌唱がどのように成長したか?について、ano.ano.kiさんはXにて以下のように語っている。← ドゥララララララーン!ドラムロールとともにご登場です @(*ノωノ)@ どうもありがとうございます!
ano.ano.kiさんご指摘の主要部分は以下になる (筈だ~)
劇団四季の稽古を経て秀樹は、喉に力が入らなくなり、喉が開くようになった ← @(T-T)@//パチパチパチパチパチ
「喉が開く」とはどういうことか。
自身で確かめることもできる。
① 鏡の前で、大きく「ア」の口で開いて、口の奥の方を見てみよう←ちょうどお医者さんに喉を見せるような感じ @(⏑○⏑)@ ア~♪
② 口の奥が開いて見えるなら、それは喉が開いている状態だ。
喉が開くことによって、喉の奥の胸部から声を響かせることができる。
これに腹式呼吸を合わせると、響きのよい、よく通る、声量のある声になる訳だ。
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『ナタリー』を年代を追って聞いてみよう!
さて、上記「秀樹の喉が開いた経緯」を実際の歌唱で確かめられるように、Saijoヒデ吉さんが、 年代順に3種類の『ナタリー』歌唱を集めてくださっています @(*ノωノ)@ ← 今回、どれだけのヒデ友さま方のお力をお借りしているの~ ← Thanks.です
アルバム『ヒデキ・イン・武道館』
まずは1976年11月3日に、「HIDEKI LIVE ’76」と銘打たれ武道館で行われたコンサートでの歌唱を収録したものだ。
秀樹21歳で、『わが青春の北壁』に出演する以前だ。
聞いてみると、生来のハスキーボイスが炸裂する歌唱!
一方で、確かになにか喉に詰まるような、そのような歌唱を聞き取ることができる。← でもうまいけれどね~
秀樹が学生時代に歌唱していたロックというジャンルは、綺麗に歌うことを求めてはいない。
むしろシャウトなどの味付けのために、喉を閉めることも、歌唱法として取り入れている。
喉を閉めること、即いけないこと、でもないのだ。
最も印象に残るのはナタリーを「ナツァリー」と発音していることの方じゃない~?← なぜ~?「シヤワセ」的なものなの~ @(*ノωノ)@?
因みに、本家であるウンベルト・バルサモは「ナタリー」と発音しているので、秀樹オリジナルなのであった!
「行かないで」は、普通に歌詞として歌っている。
アルバム『バレンタイン・コンサート・スペシャル 西城秀樹 愛を歌う』
1978年2月14日、日比谷公会堂において新日本フィルハーモニー交響楽団と共演したバレンタイン・コンサートの模様を収録している。
秀樹22歳。
『わが青春の北壁』に出演後、3ヶ月が経過している。
いやぁ、発声が変わっていてびっくり!
響きがぐっと良くなっている (=喉が開いている)。しかしブレス直前等にはハスキーボイスが挟み込まれるね。
そうしていよいよ「ナタリー♪」で、超難度の絹糸歌唱が発生!
「行かないで」がセリフっぽくなって来ていることにも注目だ。
★ 超難度の絹糸歌唱についてはこちら ↓ をご覧くださいませ @(*^_^*)@
アルバム『BIG GAME HIDEKI ’78 』
1978年7月9日、BIG GAMR’78に先駆けて行われたファンとの集い、『セレモニー・イン合歓 (合歓の郷) 』での収録っぽい。← ぽいって;
秀樹23歳
上記日比谷公会堂から、はや5ヶ月後で、『わが青春の〜』からは半年以上経った。。
いやぁ、秀樹の歌声が、更に響く、響く(=喉が開く+腹式呼吸)。
綺麗に澄み渡ったボリュームのある発声だ。← 地声はハスキーボイスのまま、ね♡ @(//∀//)@
日比谷公会堂で出現した絹糸歌唱は、ツヤを増し、驚異的に細く長く伸びている。
「行かないで」は、球場では、完全にセリフとして扱い、歌唱に溶け込ませていた。← まさしくミュージカル♪← わが青春の球場 @(T-T)@
そうそう、『わが青春の北壁』にて、秀樹はこうも述べている。
オレの役は、ちょうど自分と同じくらいの青年。
同上より引用
感受性が強くて潔癖で、善意とかやさしさなんかを大事にしている男の子なんですよ。
ただ、まだ人間の生き方を深く知らない。
そんな彼が遭難事故を通して、人間の心の奥を知るようになっていく、そんなミュージカルなんです。
良と同じように秀樹も、ミュージカルという苦難を乗り越えて、深い表現力を身に付けたようだ。
ご協力いただきました姫香さん、ano.ano.kiさん、Saijoヒデ吉さん、心からどうもありがとうございました♡
それでは行きましょう。
Saijoヒデ吉さん作で、西城秀樹『ナタリー (秀樹21歳、22歳、23歳:21歳時は『わが青春〜』前)です。どうぞっ!
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